1,3歳ぐらいの時、母とつくし幼稚園の前を通りかかった時、急に入園したくなって駄々をこねて入園したものの、1か月で嫌になって退園した。4歳になって寒河江幼稚園に正式に入園したが、ほとんど記憶がない。(幸せ点:不明)

2,寒河江小学校では、早生まれもあり、クラスで一番背が小さかった。友達のIちゃんやNちゃんは体が大きく、一緒に男の子を追いかけたりしていた。1回だけ学級委員になったけど、次からは選ばれなかった。5年生から2年間、合唱団に入っていた。合唱で一緒のMちゃんのお店に行って、いつも二人でアイスキャンディーをそーと取って(盗んで)、Mちゃんの部屋でゴロゴロしながら食べていた。合唱で一緒のKちゃんとは、今のドラッグヤマザワのところにあったヤマザワのラーメン屋さんで味噌ラーメンを時々食べた。今の図書館のところには警察署があって、1円を拾うとそのたびに届けていて、お巡りさんが困っていた。Yちゃんのおうちではお母さんが、砂糖をまぶした揚げパンを作ってくれて、すごく美味しかった。野口五郎と浅田美代子と天地真理の下敷きを持っていた。運動は全くできなくて、運動会の徒競走ではいつもビリかビリの前で、ジャポニカ学習帳や鉛筆をもらっている友達がうらやましかった。給食はいつも食べられなくて、皆の前で立たされた。残したパンはランドセルにぎゅうぎゅう詰めて、帰り道のおうちのにあげていた。時々机の引き出しに詰めたパンが、ひっくり返った机の中から大量に出てきた。私にとっては、普通に楽しい6年間だった。
小学校4年生から毎年夏休みになると1か月近く、鶴岡のおじちゃんちに預けられて、算数の先生に通った。他に兄、いとこも加わることもあったが、私が一番お世話になった。私はおじちゃんとおばちゃんが大好きだった。食堂をやってたおじちゃんとおばちゃんはいつも忙しそうで油が沢山染みついた白衣を着て働いていた。明るくて元気、あけっぴろげで、普通で。2人ともいなくなってしまった。
小学生の私は小柄で、時には元気で、恥ずかしがり屋で、気が強い女の子だった。(幸せ点:80点)

3,陵東中学校に入った途端、母の教育ママぶりに一気にアクセルが踏まれた。友達と吹奏楽部に入部届をして楽器もクラリネットと決めた。しかし帰宅後母に反対され、翌日退部届を出し、英会話部に入るように言われた。すごくすごく悲しくて悔しかった。どうして反抗しなかったのか。今考えてもそれが分からない。怖かったんだろうか。マインドコントロールか。支配か。それとも私自身がそれを望んでいたからか。
運動は勉強の邪魔、という親の信念のもと、私はどんどん運動が出来なくなって、マラソン大会ではついに学年でビリになった。本当にがり勉の私だったけど、そんな私でも仲良くしてくれる友達は何人かいて、それなりに楽しかった。放課後、皆がグラウンドや体育館、音楽室に向かうわきで帰宅する私を見て、友達はどう思っていたんだろう。かわいそう?変な奴?がり勉?私が逆の立場だったら大っ嫌い!仲良くしてくれた友達、ありがとう。

小学校高学年から視力が落ちて、中学1年生から眼鏡をかけ始めた。中学生の私は背が低くて、眼鏡をかけたガリ勉で、ちょっと小太りな冴えない女の子だった。
(幸せ点:50点)