神経痛
頭部神経痛は、頭皮が時々ビリビリっと電気が走ったように痛くなります。頭皮を押したり、触ったりすると痛いです。痛みの間隔は様々で、1時間おきのこともあれば、1分おきのこともあります。夜中の1分おきは流石に辛かったです。肋間神経痛は息を吸って胸郭が広がると痛みが来るため、呼吸ができなくなり、うずくまって小さく呼吸をします。最近はすぐロキソニンを飲んで、温かくして寝るとすぐ治ります。同じ症状の患者さんには私の経験談を話し、処方をしています。

帯状疱疹
1回目は23歳、大学6年生の秋。卒業試験、国家試験を控え免疫力は低下していました。左の首に何か小さいぽつぽつが出来てチクチク痛い。いつか治るだろうと思い10日間ぐらいほっときましたが、やっぱり痛い。皮膚科で帯状疱疹と診断されましたが、もう治療の必要はないと言われすごすごと帰りました。2回目は55歳で右の腕です。ちなみに昔の教科書には帯状疱疹は1回しかならないとあり、私も「今度で2回目だ。」という患者さんは信用していませんでした。しかし自分がなって初めて、「本当だったんだ~。疑った皆さん、ごめんなさい。」と思いました。2回とも軽症ですぐ治りました。

上肢静脈炎、恥骨結合離開、導尿、車いす、マタニティーブルー
29歳で河北病院で双子を出産しました。体力のない私が、2か月の入院でさらに体力が落ち、出産後はトイレで倒れて吐く状態でした。すぐ導尿、安静、移動は車いすとなり、恥骨結合は痛く、点滴をする腕は静脈に沿って激痛が走りました。二人で4キロと小さく生まれた息子はすぐ保育器に入り、あまりの小ささに涙が止まらなくなり、一日中泣いていました。でも元気で生まれてきてくれて良かったと思えるようになりました。一人は2週間後、もう一人は2か月後に退院しました。

口唇粘液嚢腫
せっかちな私は食事中しょっちゅう唇や口の中を噛みます。普通はすぐ治りますが、その時は唇を噛んだ後すごく出血して、傷口が少し盛り上がってきました。そうするとまた噛みます。しばらくは注意してゆっくり食べるようにするのですが、忘れてまたガブッっと噛みます。それを2か月ぐらい何回か繰り返していたら、直径7~8㎜大の粘液嚢腫になってしまいました。中に透明なゼリー状が入った袋状の腫瘍です。自分ではさみで切り取ろうかと悩みましたが、結局大学病院の口腔外科に行って手術をしました。食事はゆっくり取りましょう。

滲出性中耳炎、扁桃腺摘出術
子供のころ風邪をひく度に中耳炎になっていました。高熱が出て、すごく耳が痛い。「また耳鼻科通いか~。」毎日毎日小学校の帰りに耳鼻科に寄ります。耳に綿棒に染み込ませたお薬を塗ってもらいます。やっと治ったと思うとまたすぐなる。12歳の時、扁桃腺を取ることになりました。ここからがすごい。先生とうちの父が知り合いで「外来でやっちゃっていいですよね。その後はよろしく~!」ということに。診察室の少し傾斜がついた椅子に座ったまま、局所麻酔で手術開始。口の中にメスやピンセットがどんどん入ってくる!取った扁桃腺を私の前にブラ~ンと垂らし、ニヤッと「取れましたよ」とみせる先生!待合室で1時間横になってから帰宅しました。いったい私って・・・。

水腎症
人生で陣痛に次ぐ痛みです。26歳、妊娠8カ月の私は山梨県甲府市にいました。突然左の腰に激痛、何かで殴られたよう。何が起きたのかわからず、床を転がりのたうち回ること10分。その後鈍い痛みが残り、その部分をたたくとやっぱり痛い。翌日超音波検査で、左の腎臓が大きくなっていました。水腎症です。しかし尿道に石もないし、結局原因不明。大きくなったお腹が尿道を圧迫したのかなあ・・。なんてほとんど素人。


夏休み中でした。何の前触れもなく、お尻が痛い。座ると激痛。ナニコレ?ぢってこんなに痛いの?触っても何もない。内ぢ核ってうやつ。以前お世話になった健康堂薬局(島)に行きました。薬剤師の佐藤陽子さんが「先生、それは疲れたんですよ。」と言って、内服薬、座薬、軟膏をパパっと出して「これですぐ治りますよ。」と。神様にみえました。本当に1週間で治り、その後再発もありません。

トリコチロマニア
自傷行為の一つで自分の髪の毛を抜く行為です。私はくせ毛なのですが、子供のころはその中にすごいチリチリの髪の毛が混じっていいて、それを探して抜いていました。次第にチリチリ加減の少ない髪まで抜くようになっていきました。最近まで自分ではトリコチロマニアと認識していませんでしたが、今考えるとあれはそうだったんだなと思います。抑制が強く、感情を受け入れてくれない家庭環境でした。年に一人ぐらい、患者さんがいらっしゃいます。若年者、男児の方が治りやすい傾向があります。

過換気症候群
これは1回きりですが、35年たった今も鮮やかにその光景を覚えています。医師2年目、当直明けで、午後のバイトに出かけた時です。秋葉原駅のホームに立っていました。なんか変な感じだな、やばいなと思っていたらなんか手足がしびれてきて、意識が遠くなっていきました。そこから1分ぐらいは記憶がありません。気付くと女の駅員さんが来てストレッチャーに乗せられ、どこかに運ばれました。一応医師なので「私は医師です。過換気だと思うんで紙袋ありますか?」と何とか喋りました。紙袋の中でゆっくり吸ったり吐いたりしているうちに少しずつしびれが取れてきて、意識もはっきりしてきました。その後、バイト先に連絡して、帰宅しました。

うつ傾向
もともとハイパーな性格なので、うつっぽくなっても気づかれません。辛いですが仕事もやります。体が重い、頭が痛い、眠い、やる気が出ない、体が動かない、頭も働かない。自分ですぐ気づくので、すぐ夫に「また来たみたい。」とSOSを出します。長年の付き合いの夫は「わかった。」と言ってうちのことを色々やってくれます。一番つらいのは、いつ治るか分からないこと。約1~2か月で治りますが、その後あまり元気になりすぎるのも注意。いつも一定のレベルがいいのです。これからもうまく付き合っていくことになるでしょう。

高熱と入院
42歳の春、40℃以上の高熱が出て、解熱剤の座薬を入れると1時間後から大量の発汗とともに37度台まで解熱、6時間後又強い寒気と震えとともに40℃以上の高熱、の連続が1週間続きました。血液検査ではCRPが10以上(普通は0.3以下)と高値を示すも全く原因不明でした。3人の子供は15歳、12歳、12歳で、長女の受験、仕事と家事で疲れていたのだと思います。
私は何となく自分の体に起こっていることが分かっていました。夫に「家から離してほしい。入院させてほしい。」とお願いし、済生館の呼吸器内科に入院することになりました。外来で医師の顔を見た瞬間に涙がこみあげてきて止めることが出来ませんでした。病室に入ってもボロボロ、看護師さんが体温を測りに来てもボロボロ。ところが驚いたことに入院とともに熱が下がったのです。結局原因は不明でストレスによる免疫力低下をきたし何らかの感染症を引き起こした、という結論でした。
毎日夫がお見舞いに来てくれ、子供達からのお手紙も届けてくれました。ドクターは1か月入院が必要と言いましたが、2週間で退院しました。それ以降診療時間を減らし完全予約制にし、自分の体力と気力に見合った仕事をすることにしました。